中級から学ぶ(Bài 19)

中級から学ぶ(Bài 19)

「おもいだす」

自転車で通える職場など今ではまれだが、当時市役所に勤めていた父は、自転車で十五分ばかりの所に市の住宅を与えられており、毎日まるで時計ででも計ったように五時半には必(かなら)ず家へ帰ってきた。どんなに暑くてもどんなに寒くても、よほどのことがない限り、これは定年で退職するまで変わらなかった。

父のことを思い出すと、決まって連想(れんそう)するにおいがある。昼のにおいである。正確には夏の夕暮れのにおいとでも呼ぶべきだが、私にとってその懐かしいにおいは「昼のにおい」であった。

夏の夕暮れ、父は汗まみれになって帰宅(きたく)すると、汗もふかずに兄と私を大声で呼んだ。庭いじりが唯一(ゆいいつ)の趣味だった父が、夕飯までの時間、兄と私を庭へ呼んでその手伝いをさせるのである。「こことそこはこんなふうに、あそこは、...」と父の言うままに、草を抜き土(つち)を運(はこ)んでいた私たちは、「ご飯ができましたよ」と言う母の声を耳にするとホットする。父に気付かれないようにこっそりお互いの顔を見て、ニッコリうなずき合ったものである。「じゃあ、最後に水をやって、それから手を洗(あら)って食事にしよう」その言葉でようやく庭仕事から解放(かいほう)される。昼のにおいがするのは、そのときである。
あれは、一日中強い陽(ひ)に焼かれた草木が、水を与えられて生き返るときに出すにおいだったのだろうか。そのとも、乾(かわ)き切った土が、ゴクゴクとのどを鳴らしながら水を飲むときに出すにおいだったのだろうか。どちらにしても、忘れられない、うれしいにおいであった。
「夕涼(ゆうすず)みがてら、花火でもしようか」機嫌(きげん)のいい日の父は、そう言って、私たちを庭へ連れ出した。あるいは仲良く庭仕事を手伝った子供たちへのごほうびのつもりだったのかもしれない。もっとも、花火といっても線香(せんこう)花火である。当時のことだから、今のように空高く上がる打ち上げ花火や、通りがかりの人を驚かせるほどの大きな音を出すものはない。それでも、やけどをするといけないからと言って、火をつけるのは父の役目だった。お気に入りの浴衣(ゆかた)を着て、ゆったりといすに腰掛(こしか)け、うちわを使いながら夕涼みしている父の所へ、一本一本花火を持って行き、火をつけてもらう。それを、母が準備してくれた水の入ったバケツの所までそっと運んでいって、兄と私は、どちらが長く火の花が咲かせられるか競争(きょうそう)するのである。

「これが、最後」父がそう言って火をつけてくれた一本が消えてしまうと、それまで火の玉をじっと見つめていた目には、一瞬辺(いっしゅんあた)りが暗やみになってしまう。この瞬間、昼のにおいがもう一度する。今度は少し寂しいにおいである。子供の時間が終わるにおいである。

父が亡くなって十年余(あま)り。ベランダで大きな声を上げて、楽しそうに花火をしている子供たちの姿を眺(なが)めつつ、懐かしい昼のにおいとともに今日も父のことを思い出している。




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